「自然」て言葉を聞くと、何を思い浮かべますか。
人間の介入しない、地球に存在する動植物、海や山や森などの「自然」
それとも人間本性の「自然」
物事があるがままの「自然」
自分が普段意識する視点や生きている環境によってパッと思い浮かぶイメージは様々でしょう。
学問によっても言葉の定義は変わります。
宮古島に行って、衝撃を受ける体験をしてから
もともと現地に住む方々の「自然」と、移住者の「自然」が
少し違うように感じたので書き残します。
もともとは人口が少なかった宮古島は、まだ人間が手をつけていない自然環境が残っていて
海も陸も美しい場所がたくさんあります。
近年、宮古に住む人々は漁業や水の整備や畑を作り生活を営んできました。
海や陸や気象という自然に対して敬意を持ち、人間本性の自然と向き合いながら長い時間をかけて
宮古島と向き合い寄り添いながら命を繋いできました。
もちろんこれは、小さな島という、より限られた資源の中で生きる人々には同じことが言えます。
ここ数年で注目されるようになった宮古島は急激に移住者やリゾート開発の手が入り
随分と様子が変わっていったそうです。
そう、宮古島バブルと呼ばれる所以。
本来土着し住む人々と、移住してきた人々は
この急速に変わりゆく島に対してどのような感情を持っているのか、インタビューしてきました。
移住する人々は、海や森や気候などの「自然」に感銘を受けて住まうのがほとんど。
私もその美しさに圧倒されました。
一度足を踏み入れれば、誰もが好きになるのではないでしょうか。
インフラも整備されているので、今現在では決して住むのに厳しい条件ではない。
今、自分が綺麗で心地よい場所で楽しく生きられれば良いという短絡的思考の方もいれば
どのようにこの環境を維持しながら人と自然が共存していけるのか、真剣に考えている方々もたくさんいらっしゃいます。
もともと住んでいる人々は、この島で生活を営む人間本性の「自然」を大切にしているように思います。
この島が現在に至るまでにあった島の歴史や文化、これらを無視することは
人間の根源である私は何者かというルーツを不安定にしてしまう。
これではnatureの自然も人間性の自然も壊してしまうのではないかという不安。
一方で開発の手が入り、雇用が増え、若いエネルギーが集まってくることの活気は
経済的に潤う点は否めない。
高齢者は島の真ん中で農業や牧場や漁業に従事し、若者は観光産業や街での飲食店で働く。
この2者の落とし所をお互い模索している、そんな印象を受けました。
落とし所とは何か。
それは「自然」というものの共通認識ではないかと思うのです。
そして宮古島を愛して、大切にしていきたいという願い。
若い人々は宮古島生まれでも本土生まれでも、新しいものを取り入れ、時代に寄り添うのが上手です。
そういった人たちが、もともと住んでいる方の声を真摯に聞き
またもともと住んでいる方も新しい風を柔らかく受け入れていくには
「自然」の在り方に対して理解し合う必要がある、と感じました。
もし、観光で行かれる際は、ぜひ両方の「自然」に触れ合ってみてほしいと思います。
すると、Yama、Niyamaの輪郭が分かりやすく見えてくるのでは。
そして、ただ消費するだけではなく、SDGsについても考える機会になると思います。
SDGsは理想論かもしれませんが、無視するわけにはいかない問題。
そしてこれは、おしゃれだとか、意識高い風に見える企業が使用する単語のようになっているのも事実。
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