マイケル・サンデル先生の引用に?つけました。
冬季北京オリンピックが始まりましたね。
皆さんはそもそもウィンタースポーツに馴染みがありますか。
私は大人になるまでありませんでした。
今でこそスノボは好きですが、スキーは記憶にある中で人生で2回しかやったことがありません。
スケートも小学生の時に友人とリンクに行ってどうにか滑るくらいの経験。
スノーシューは楽しいですが、大人になって行ける余裕ができてから。
これも雪が身近な生活圏ではないのでほとんどやったことがありません。
世界には、どのくらいの冬季オリンピック競技の経験者がいるのでしょう。
もちろん地域によりますが、世界全体とした総数で見たら、ほとんどいないのではないでしょうか。
走ったり、泳いだりはかなりの経験者がいると想像できます。
ウィンタースポーツは服や道具も必要ですし、練習環境も限定されるので
継続してできる時間とお金と場所などの条件が揃わなければなりません。
樹木希林さんの「120の遺言」の第7章中に、印象深い言葉がありました。
以下引用します。
「世の中の人は、好きでなくても、見過ぎ世過ぎでいろんなことをやらなきゃなんなくて生きてるのに、
自分の好きなことをやって生きていられるというのは、大変な感謝のことであり、なおかつ、
それを求めたららば「好きなことやって食えるようになりたい」というのは、おこがましいことですよ。」
これを読んで、そういえば養老孟司先生も似たようなことをおっしゃっていたのを思い出しました。
「好きなことをやるには、それをやるための土台固めとして、結局他の様々な好きではないことをしなければならない。どうせ好きじゃないことやるなら、結局好きじゃないことも、好きになるのが一番幸せな方法。」
冬季のオリンピックは冬季ならではの競技があり、
ここで実力を発揮できる方は皆、並々ならぬ努力をされています。
世界で上位に立つということは、そういう実力を持ち得る運がなければならない。
この理解を踏まえた上で、
夏期オリンピックには、
・頭に果物を乗せて裸足で人混みをぶつからないように歩く
・空の壺を頭に乗せ、20km先まで水を汲み、戻ってゴールする
などを入れたら、オリンピックに参加できる実力の持ち主、可能性のある人が増える、かもしれない。
オリンピックのような巨大で強力な組織が実行するからこそ
オリンピックの精神性の豊かさを耕すことに繋がるのではないか、などと考えてます。
以下JOCの原則の一部抜粋
「文化や教育とスポーツを一体にし、努力のうちに見出されるよろこび、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとにした生き方の創造である。」
「オリンピズムの目標は、あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。またその目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある。」
オリンピックの価値教育の基礎(JOCより)
ごちゃごちゃ書きましたが、身近な競技が、自分の村の人が世界一になったら
どんなに嬉しいことだろうと、世界を旅した村々の人の顔が思い浮かびました。
実力も運のうち。
この本の最大の難問が、オリンピックにも顕著に現れていますね。
ちなみに、JOCによると、オリンピックも人生哲学なのだそう。
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