親戚や友人や生徒さん、なかなか会うことも無くなって
メールや時にはお手紙なんかで近況報告してくださる方、少なくありません。
私は不精者なので、こちらから連絡をとることはあまりないので、
ありがたいなと思ってます。
一番多いのは、健康に関することや子育てのお話。
私も母親だからか
お子さんの心や体のことや、学校のお話、進学進路についてなどもよくお聞きします。
いやいや、私も未熟な母親で、まだ子育ての真っ最中でございます。
だから全然偉そうなことは言えません。
ただ、お話を聞くたびに
愛情たっぷりに育てているな、と微笑ましく思っています。
でもどうして私たち母親は子供に介入したがるのでしょうね。
教育という言葉を盾に、まるで正しい道に導いているかのように、
そのくせ本当にそれでいいのか不安になってみたり。
雑談としてよく聞くのが、子供のランドセルの中身チェック。
宿題はちゃんとやったのか、忘れ物はないか、文房具などは揃っているか、
夜な夜な見るそうです。
娘の小学校の時は、ほぼみんなお母さんはやっていました。
私はやった記憶がありません。
いや、もちろん心配でしたよ。
でも忘れて困るのも大切。失敗を認めて受け入れる訓練になります。
お母さんたちに、なぜランドセルチェックするのか尋ねたら、
娘が恥をかかないように、お友達に白い目でみられないように、先生の評価が下がらないように、遅れをとらないように、などなど。
なるほど。困っている子供が目に浮かんで、つい手を出してしまう。
裏を返すと、
娘を通して、母親として自分が恥をかかないように、他人によく見られるように、ということでもありますね。
うん、わかります。
ランドセルチェック、やってもやらなくても正解だと思います。
やりたければやればいいし、必要ないと思ったら止めればいい。
それだけのことです。
お母さんのチェックのおかげで絵具を忘れないですんだ日に、素晴らしい絵が描けたら、
もう忘れないようにしようと思うかもしれない。
一方で、絵具を忘れて何もできない時間を過ごして、悔しくてもう忘れ物はしないと思うかもしれない。
正解なんてないです。
大切なのは、軸をどこに置くのか、だと考えています。
自分(母親)として認められたくてとる行動なのか、子供の成長を考えてとる行動なのか。
自分(母親)に軸をおけば、答えって出しやすい。
子供に軸を置くと、様々な可能性を考えるから、悩む。
それって子供のことを考える時間を作っているだけで、愛情たっぷりじゃないですか。
だから、時には「なぜ?」と思う父母の行動だって、私にはお子さんが可愛いんですね、素敵です、と見えるのです。
困ったときは、今自分は軸をどこに置いて判断しているのかを、考えてみてください。
それで大丈夫、大丈夫。
もし、心配に思うことがあったら、子どもを見る前に自分を見てみると、
案外答えが出やすいかもしれません。
怖いなーと思うのは、子どもが家庭で in put したものは
必ず社会に out put されていることです。
その時、親はそばにいないことがほとんどでしょう。
(怖いと言っている時点で自分の欠点が見えます)
完璧な親で毎日を過ごせればいいですが(苦笑)
だけど、きっと足りないことも、足りすぎることも、
子どもは自分で学んできます。学校で、社会で。
1人で本当に困った時、悩んだ時に、考える力を身に付けます。
だから、大丈夫、大丈夫。
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