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人間苦はどこからくるの?

どんな人でも、悩んだり苦しんだりする時があります。

人から羨まれるような環境にあっても、

もしくはその環境にたどり着いても、

必ずやってくる「苦」。

「レンマ学」 中沢新一著 講談社

この本の中に、ブッダが解いた人間苦について書かれています。

人生は 生老病死の中にあって

ブッダは人生の苦しみの基を老死の中に見ました。

この世に命を受けてから、老いること、死ぬことは自然とやってきます。

自然なことなのに、これが人間を苦しめます。

生まれるということは、有る、存在する世界に身をおくということ。

有る=存在 に縁起します。

存在する、有るということに成るためには

外に有るものを自分の内部に取り込もうとします。

ここで人は「取」に執着します。

それは母親からの愛情であったり、乳などの食物、服、金、

様々です。

つまり「有」は「取」に縁起します。

この「取」の基になっているのが「愛」です。

渇愛。何よりも一番求めるもの。

「愛」と言えば聞こえはいいですが

これはネガティブな感情である憎悪、怨恨、憤怒も生みます。

みなさんも身に覚えがあるでしょう。

この「愛」こそが人間苦を生み出します。

そして「取」と一体となって感情を揺さぶるのです。

だから苦しい。

人間のみならず、感情をもつ生き物ならば誰しもが経験があるはずです。

外の世界からの刺激を受けて感情が動き出すことを「受」とします。

この「受」は「愛」と繋がっています。

私たちは、自分の外にあるものに対して喜怒哀楽という感情を味わいます。

外の世界に触れ合うには、「触」働きが必要です。

「触」の働きを受け取るもの、目や鼻や耳や口や手などです。

そこから受け取り、想ったり、行ったりします。

それが現れるのが私たちの「心」と「体」。

「心」と「体」があるおかげで、私たちは「苦」の源である外界のものや出来事に巻き込まれ、

それに縛られ、身動きがとれなくなっていくのです。

けれど、「受」「想」「行」が心と縁起することで

認識、識別する知恵「識」が起こります。

この「識」は生命活動そのものに繋がっていて、

もちろん「愛」にも繋がっています。

「識」は主観と客観を生み出してくれます。

そして「識」が外の世界へ向いて働くとき、行為が生まれ、縁起となります。

ここまではわかりやすいようにロゴス機能を使って整理しました。

ここからがレンマです。

ブッダはこの過程を逆に辿ることでも、縁起の繋がりを紐解くことができると説いています。

ありとあらゆることは、相互に繋がりあってネットワークを作っています。

人生だけではなく、目に見えないミクロの世界も、広大な宇宙も。

そして目には見えない実相も。

これらはロゴス機能を使って全てを説明することは不可能です。

でも確かに存在する。そしてそれは全て繋がりあって、縁起しているのです。

それがレンマです。

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