今日は哲学やなんらかの学びに深入りする前に
気を付けることを書きます。
どんな分野でも、探究しているうちは
なんらかの「不思議」に向かっている時です。
その「不思議」とは、目に見えなくて説明できないものであることがほとんど。
だから解明しようと、人はロゴス的知性を使って説明を試みます。
この時に、脳内で想像したものと現実とファンタジーが入り混ざって
オカルトに行ってしまう人もたくさんいます。
私は神を見たことはありません。
魔術や超能力や霊に遭遇したこともありません。
これらを否定も肯定もしません。
でも信じてはいません。というか、興味がありません。
これらは、人間が生み出したファンタジーなのかな、くらいに思っています。
自分が実際に見たり、体験したことだけを信じています。
レンマ的知性を働かせるということは
目には見えない潜在的なものの存在との繋がりを認識するということですが
他人の脳内の物語を見て、自分もその世界に入っていくという作業ではないのです。
大切なのは、物事を考えたり見ている時に
その自分も客観的に見ること。
とてもとても難しい。
ダライ・ラマ法王は、宗教者と科学者の対話という時間を設けることで
仏教哲学と現代科学を向かい合わせて
この客観性を保つ知性を働かせています。
ただ研究しているだけならいいけれど
自分の世界に閉じこもりすぎて
外の世界を否定しまくったり、攻撃的思想になってきたら
(でもこの渦中にいると自分で気がつけないものです)
いったん深呼吸して、冷静になる作業、日常的に大切にしてください。
もしかしたら、「不思議」と向き合っているのではなくて
承認欲求や自己肯定感の低下や現実逃避など、違うものと向き合っているのかもしれません。