今も昔も、人の「考える」行為は同じです。
古代ギリシアで盛んだった哲学。
その中で一番の推しだったのが「ロゴス」という概念。
その「ロゴス」とはなんなのか。
以下の本を参考に、このブログを進めていこうと思います。
「レンマ学」 中沢新一著 講談社
この本の著者、中沢氏によると
「ロゴス」とは、物事を目の前に集めて順序立てて並べること
とあります。
人間が頭で考えたことを実行するのには、言葉が必要です。
目の前の出来事を並べるにも言語が必要です。
いつ、誰が、どうした
というように、単語を順序立てて並べることで意味づけをし、理解します。
世の中の全ての言語はこのロゴスで成り立っています。
ロゴスによって物事を整理すると、
過去ー現在ー未来 という線状に物事を並べることができます。
そして肯定か否定しかありません。
西欧で発達してきたこのロゴス的知性は、科学技術をはじめ、
今日、私たちが手にしている学問の多くに活かされています。
けれど、世の中の出来事全てを、
もしくは世の中そのものを、
このロゴスで説明しようとしても、複雑すぎて説明がつかないことがあります。
このロゴスと対比する概念を「レンマ」といいます。
レンマとは、事物をまるごと把握するという意味です。
ロゴスのように事実の概念を並べていくのではなく、
直感的認識を重視します。
出来事には目に見えない潜在的要因があり、それを含めて物事は成り立っています。
仏教の世界でいう、「縁起」です。
世界のあらゆる事物は 線 で並べるのではなく
全てが相互に繋がりあっている、という考えです。
過去は現在に凝縮して入り、未来も現在に含まれています。
世界は、宇宙は、縁起によって動き、変化しているのです。
アジアではレンマが推しの概念でした。
この知性は、私たち日本人には馴染みやすいのかな。
どちらも大切な知性です。
例えば、絵画を描く時、ロゴスをベースとしますが、レンマがなければ想像できません。
アーティストが生み出しているものは、潜在化しているものを顕在化させて意味を持たせるからです。
古代でも現代でも、人の「考える」行為は同じ。
ヨーガも大きな縁起の中の1つであって、それが様々なものと繋がりあって今の私があります。
みなさんはどうですか。
次回は人間苦について、レンマ的思考で書き出してみようかと思います。