top of page

心と体は何で繋がっているのか。


心と体は脳の指令で繋がっています。

スピリチュアル感がなくてすみません。

繋がっているのはいいのですが、

これが自動操縦に切り替わることがメリット、デメリットがあります。

みなさん、両方のスイッチの切り替えの練習はしていますか。

例えば、免許を取り立ての頃は、自動車を運転するのに意識を集中させます。

だんだんと運転に慣れてくると、何も考えなくてもアクセルとブレーキの場所がわかり、

信号を無意識に認識し、他の考え事をしながら運転できるようになります。

運転に対する緊張、ストレスが低下するからです。

運動も同じで、毎日走っていると、長い距離も心拍が激しく上がらなくなり、

辛かった距離もラクに走れるようになります。

あえて、心と体の繋がりを感じる実体験をトライアスロンで書くと、

トライアスロンには、ショート、ミドル、ロングと距離が様々あります。

それぞれ全く別の競技と言っても過言ではないと思います。

これはあくまでもアマチュアの私個人の実験ですが

ショートの場合は、完走が目的ではなく、タイムや順位を追いかけるので

常に全力投球で、レース中の呼吸の苦しさが半端ないです。

獲物を追いかける肉食動物みたいなもの。

ただ距離が短いので、ゴール後さほど疲れは継続しません。

しかしレースの距離が伸びれば伸びるほど、

どうやって一定の心拍で、ある程度の速度を保持しながら継続して動くか、ラクな呼吸を維持できるかに意識を集中させます。

(もう一度言いますが、私の場合は、です)

よく、「トライアスロンって辛くないんですか」「苦しくないんですか」と聞かれます。

でも出場するレースの距離によって、全然違うんです。

辛いのは体ではなく、一定の運動を保持し続ける時間の長さにどれだけ飽きずに耐えられるか、というところ。

(もちろん、日頃トレーニングをしている前提で話を進めますね。)

体も動かす時間が長くなればもちろんしんどいけれど、省エネでレース展開をしていれば、心拍が上がらず、ずっと続けても苦しくないです。

途中、いろんなハプニングに遭遇しても、冷静に受け止めて、受け流していく。

私には、飽きてしまわないように意識を集中させ続けることが一番大変(笑)

筋力だけ評価したいのであれば、ショートレースで十分かなと思います。

そう、これって何かに似てますよね。

お分かりになる方にはわかるでしょう。

よく、「ヨガは運動ではない」という言葉を耳にしませんか。

そうなのです。ヨガのコンセプトはそもそも運動ではない。

しかしアーサナという体を動かす動作が入るからややこしい。

インドのAYUSH省が発刊しているヨガの教科書では、ハタヨガ(体を動かすヨガ)を次のように定義しています。

「Certification of YOGA Professionals GUIDEBOOK level1」 SECTION1 1.2 p8より

1)ヨガは筋肉に深いリラックスをもたらします

2)プラーナはゆったりとした呼吸と共に流れます

3)精神においては創造性を高めます

4)知性においては研ぎ澄まされ、心が落ち着きます

5)感情の均衡を保ち、人生の幸福を高めます

6)人生のあらゆる面で、人間に固有の神性を明示します

(私の意訳とgoogle翻訳の助けをかりたので、気になる方は原本をお読みになってください。)

上記のことは、トライアスロンでも感じられます。

他の競技でも同じかもしれません。

ではなぜ私はヨガをしているのか。

それは、運動と本当にどう違うのか、自分の体で感じて証明したいからです。

走り続けていない人がいきなり走って、ハアハア言いながら「これはアーサナとは違う」といったところで

はい、違います。走らなくてもわかります。としか言いようがない。

アーサナを始めた頃は、めちゃくちゃ疲れました。息も上がりました。

ランニングを始めた頃も同じ。

でも今はどちらも、やっている時、やった後にエネルギーが満ちていくのを感じられます。

汗の量はアーサナの方が少ない。心拍の上下もアーサナはほとんどない。

筋肉の負荷は運動の方が大きい。と感じつつも、イレギュラーなアーサナを練習すれば筋肉痛になる。

ランニングでもバイクでもスイムでも、筋肉痛にはならない。

終わった時の感触や感覚や落ち着き、多幸感などは、

運動していなければ、ヨガと運動の違いを明確に説明できません。個人差もあるでしょう。

一番知りたいのは

体を動かす「集中の連続」と、体を動かさない「集中の連続」の差はなんなのか。

今の時点で私が理解した、というか経験したことは、

体を動かす場合、脳からの指令で体が自動操縦になっている状況を

意識して断ち切る訓練もします。

この時、自分を客観視します。観察します。そして主観的にも観察します。

体を動かしている時に、コントロールしているのは脳。

コントロールという意識から離れた時、集中の連続の中でゾーンが生まれるのかな、というのが

今のところの私の経験です。

体を動かすというのは、集中する標的が「運動」に過ぎません。

座ってろうそくを見たり、読経をしたり、感覚を研ぎ澄ましたり、

脳を使って集中するのであれば、対象はなんでも良いのです。

ただ、トライアスロンの面白いところは、

脳から体へ指令をだす自動操縦状態から、意識して体を動かすように変えていく作業が入るところ。

例えば走っている時の着地の仕方。かかとのあげ方。膝の向き。

体は物質的な消耗品ですから、同じことを繰り返していれば壊れます。

壊さない為に、修復したり使用する部位を変えたり、強化したりする為に

自動操縦で慣れ親しんだ「動き」(クセとも言います)から離れる必要がある時がくるのです。

当たり前を壊すのって、本当に大変です。

意識しないとすぐ当たり前に自動的に戻ってしまう。

戻ってしまっていることに気がつけばまだいいけれど、気がつかないままの時もあります。

気がついてはいるものの、ラクな方に逃げたくなる時もたくさんあります。(ほぼ毎日?)

でもやったらスッキリするんですよね。

ヨガでは、瞑想へ入りやすくするために、この脳の自動操縦化を進めます。

真逆なのか、それとも。。。

とにかくどちらも、体を通して、結局は「脳」を鍛錬していることには変わりありません。

だから面白い。

健康な今だからこそ、自分の体が実験材料になるのです。

今年は、「じゃあ脳の指令ってなんなの?何でできてるの?ナマ物なの?」

を考えていこうと思います。


Track NameArtist Name
00:00 / 01:04
bottom of page