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DEEPな日本


ご無沙汰しております。

久しぶりの更新です。

とても灌漑深い経験をしたので、自分の記録として残します。

佐渡へ行ってきました。

旅で島へいくのは好きですが、国内外でも大抵南の島に足が向きがちですが

今回は東北の島です。

そして、限られた時間と交通規制のため、島の田園の中を走り、寺や神社をまわり、

ある場所のみを目指していきました。

それは、かつて船大工や造船技術者が居住して栄えていた、

「宿根木」という港の村です。

江戸時代には貿易や廻船業で栄え、高度な技術を持った職人や独特な宗教を持っていましたが、

明治時代にはエンジンを搭載した汽船や鉄道により、衰退していった町です。

今では伝統的重要建造物群保存地区として観光施設にもなっていますが、

佐渡では、どこに行ってもほとんど私だけだったので、町民の方に色々お話をきく時間を頂けました。

私が知りたかったのは、かつてここで信仰されたもの、自然との向き合い方、家族の形、農業と漁業の道具など、

生活に関する歴史です。

自分の足で現地へ行き、自分の耳で話を聞く。

一般的なパンフレットやWEBの情報では知り得ないことをたくさん学ばせて頂けました。

その中のごく一部をここに残します。

現在は、約50家屋くらいが現存し、25世帯の人々が暮らしているそうです。

かつて千石船産業で潤ったこの町は、綺麗に整備された小道が小さな集落の中に続いています。

その道の中でも、町民が大切にしている神道があります。

この道の奥に神社、さらにその奥には時宗の寺があります。(佐渡全体では、真言宗の寺が多かったです)

船で海へ出るときは、この道を通って海へ行き、帰港しても同じようにこの入り口から入るそうです。

誰かが亡くなった時も、必ずこの道から送り出す習慣があります。

家の作りは、船で余った廃材や、船で使えなくなった材木を利用して家を建てていたそうです。

船大工の住むまちの家の作りは、本当に立派で、倉の扉は4層にもなっていたりしました。

貿易や廻船業のみならず、生活の為に田畑も作っていたのですが

指先の器用な船大工のまちだけあって、資料館の漁具や農具も、精巧で見事な作りでした。

資材も乏しいので、木や鉄や糸、なんでも大切に大切に使用していました。

医師がいないので、誰かが病気になると、病気の場所(手足や性器など)を木彫りで形作ったり、

和紙に「なおれ」などのような願いを何重にも書いて、仏壇に備えて祈ったそうです。

男たちが海へ出るということは、命がけで仕事に行くということ。

食べて行きていく為に、海へ行くしかないのです。

家族の為に。町民の為に。自分の為に。

もしかしたら家族を、親戚を、友人を、ご近所さんを失ってしまう可能性もあります。

町の人々は、船乗りの安全を何より願っていたようで、

小さな夫婦の仏像(人形のようなもの)も、お札と一緒に船に乗せて神棚に飾っていました。

船の神棚は、船首に向いています。つまり、仏像も進行方向を向いて、太陽や月、雨風と向き合っていたのでしょう。

陸で待つ者は、船乗りの安全を祈願する為に、洞窟へ行って火を焚いて祈り、

海へ出る者は、その仏像をみて、親や妻や子を思い、英気を養っていたのでしょう。

現在でもおばあさんたちが月に二回、洞窟でお祈りをしているそうです。

この洞窟は、8万年前に形成されたもので、縄文時代は海のすぐそばにあり、生活する場でした。

平安時代頃になると、海抜の変化と共に、洞窟の位置が隆起し、山の上になり、

信仰の場として用いられるようになったようです。

そして天災にもあいやすい港のまち。

町に水害などが起こらないよう、自然の神にも祈りを捧げて、命が繋がるように、願う場所でもあります。

洞窟へ行ってみると、少し町から離れた小高い山の崖の中にありました。

山の中という雰囲気です。

洞窟の前には、88体のお地蔵様や洞窟を守る仏像らしきものがありました。

自然の中に突如現れた、偶像。

人々の念を感じました。

ずっとずっと昔から、ここで安全や健康や幸せを、町の人々が祈ってきたことを肌で感じる場所です。

人は、なぜ人の形などを作って祈るのか。

火を焚き、唱え、心を寄せるのか。

その答えがこの場所に全て詰まっていました。

鳥肌がたちました。言葉通り、肌で感じるとはこのこと。

今までわかっているようで、ちゃんと感じていなかったことも、教えてもらえました。

生きるということは、決してラクではない。むしろ、辛く苦しいことの方が多い。

でも生きるということは、ずっと昔から絶やさずに繋がってきたこと。

祈る相手がいて、祈られる誰かがいて、それが自分であったり他人であったり。

でもそれは、自分自身への祈りでもあって。

時が止まっているかのような、多分江戸時代から変わらない神霊の場所で

人間が作り出すものの重さをひしひしと感じてきました。

大切な場所に足を踏み入れるのは躊躇したので、洞窟の中には入らずに一礼して帰ってきました。

超限界集落だよという町の方たちは、若い頃は本州に仕事へ行き、

また佐渡へ戻って来るパターンが多いそうです。

東京へ、京都へ、また住みたいですかと質問すると、

いいや、もうたくさん、と。

今、佐渡全体での人口もどんどん減少しています。

それでも、どの家も、どんなに古くても、きちんと手入れされ、庭には花が咲き、

村を、町を綺麗に掃除し、田畑を管理してお墓に花を添えるのが日課。

私は、佐渡のごく一部にしか触れあえませんでしたが、

それでもここに書ききれないほどの経験をしました。

そして、また行きたいです。

今すぐにでも。

長文を読んでいただき、ありがとうございました。

この経験が自分の講義の糧に、人生の成長に繋がるよう、精進してまいります。


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